Old Blog Library 2010年02月07日
声について
あるラジオ番組で、キャリアのある舞台女優の方が
「ボイス・トレーニングで、少しビブラートが『縮緬
(細かく震えること)』になってきた、と指摘されまして・・
やはり舞台で若い役をやるときにはマズイわけですね。
できるだけ腹筋を鍛えて保って、若々しい声も出るように
努力しています。」
というようなことを話されているのを聞きました。
なるほどなあ、舞台での歌は、ある役(人)になりきって
その人を表現するものだからその女優さんの「ナマの現在」は、
必ずしも全部投影されないのですね。
ずうっと以前に、
「影山さんはミュージカルはやらないの?」という質問を
受けて、そうだなあ、興味を持ったことがないなあ、
なぜだろう?となんとなく思っていましたが長いこと
スタンダード・ソングをライブスペース(劇場の舞台でなく)
で歌っていると、その違いがわかってきたような気がします。
つまり、ライブシーンで演奏する歌は、その時の
自分そのものなのだな、と。たとえば10年前のほうが
きれいな高音が出たとしても、今は今の良さもあるわけで、
その時々に共演したり、聴いてくださる方々が、その時間を
一緒に楽しめることが一番の目的です。
主役のお姫様がやりたい!という熱烈な意志が欠如している
というか、むしろ今の気分に合った曲がやりたい、という傾向
のほうが強いのが、劇場型でないミュージシャンなのかな、と。
声が全く出なくなったらまた話は別ですが、しゃがれた声でも
音域が狭くなっても、その曲が表現できる限りはいろいろに
楽しめるものだから、永年飽きずに続けられるのかもしれません。
「この声が出なくなったら(変化したら)この役はやれない」
ということはあっても
「この曲は歌えない」ということはまずないでしょう。
もちろん、聴く側の好き嫌いは分かれるでしょうが・・・。
今の自分そのものの表現だ、と言っても、実際に自分の
「ナマの現在」をあからさまに感じさせる歌手も、また
具体的には感じられない歌手もいますが、それは
人それそれの性格によるのですから、ま、どちらでも
良いわけです。この「なんでもアリ」っていうユルさが、
現場のジャズマンの良いところ・・と、私などは思って
いるのです。
現に、「今日は何歌うの?」と聞かれても、最初から
決まっていることはほとんどありません。その日の演奏家の
演奏を何曲か聴いているうちに、
「あ、アレやろう」と思いついて譜面を取り出す・・・
というのが普段のスタイル。
ユルイというか、行き当たりばったりというか・・・
こういう性格の人は、現場向きです。 ん?